(2/6)近代精神を理解した韓国、理解できなかった日本
それは、その日本の「近代化」が半分だけの近代化であったからである。近代化というものには二つの流れがある。一つは日本が受け入れた、ルネサンス以降の「近代合理主義」による「近代化制度」実現の流れ、もう一つはむしろ韓国がアジアで最も早く成し遂げた、宗教改革以降の「キリスト教道義主義」による「近代化精神」実現の流れである。
大陸と陸続きの半島国家・韓国には、古くよりアジアの最も高い宗教思想が集まって結実してきた伝統があり、特に朝鮮時代500年を通して練磨されてきた儒教の道義主義が存在していた。すなわち、西洋との関係づくりにおいて、韓国は文化的に、西洋のキリスト教思想と通じる儒教の道義主義というコードを持っていたのである。
当時は、欧米の「文明国」が、その他の「非文明国」を合法的に搾取することができた帝国主義の時代であった。ところがその相手が「文明国」であった場合にはどうなるか。
朝鮮は、当時の「万国公法(国際法)」の精神を、朱子学の道義主義をもって「信義と愛」の精神と捉えた。そうして当時の他の国には見られない取り組みとして、各国と結んだ条約を項目別に整理し、品目、税率を一覧表にした『各国約章合編』という本を、1885年から1899年までの7回にわたって発行している。その序文には以下のように明記されていた。
「信義を根本とせよ。礼儀で相手を待遇し、愛情で約書を制定せよ。そのために、これを役人だけが持っているのではなく、国民すべてが知るようにして、全国民が各国に対する信頼を持つようにすれば、両国間に友情関係が自然に生じるようになるのだ」
いっぽうの日本の外交精神はどうであっただろうか。当時、日本の近代化を代表する思想家である福沢諭吉が書いたのが、「百巻の万国公法は数門の大砲にしかず、幾冊の和親条約は一筺の弾薬にしかず。大砲弾薬は以て有る道理を主張するの備えにあらずして、無き道理をつくるの器械なり」(『通俗国権論』)という言葉である。
また、明治政府の文部大臣であった「維新の三傑」の一人、木戸孝允は自身の日記に、「兵力が整わなければ万国公法も元より信じるべきではない。弱国に向かっては、おおいに万国公法を名として利を謀る国も少なくない。故に私は、万国公法は弱国を奪う一道具である、と言っているのだ」と記している。
当時の日本で流行した戯歌にも、「表に結ぶ条約も、心の底ははかしれず、万国公法ありとても、いざ事あらば腕力の強弱肉を争うは、覚悟の前の事なるぞ」と詠われていた。その姿勢は朝鮮とあまりにも対照的である。
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武藤克精
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