韓国論考

暴走していく世界とアジアに渡されるべき希望の橋

現存する最古の太極旗

●私たちが知らないもう一つの「近代化」

前回、「舒川(ソチョン)」で講演をした時の記事にも書きましたが、韓国は歴史をみれば、仏教によって新羅、高麗が国を建て、儒教によって朝鮮が国を建て、キリスト教によって大韓民国が国を建て、と、世界において、仏教・儒教・キリスト教という高等宗教の精神が文化と国家の根底に根ざした、唯一の国であるといえます。

それは、私が大学時代に比較文化学を学びながら、韓国文化に特別に関心を持たざるを得なかった理由でした。

私たち日本人は簡単に、日本がアジアで一番最初に近代化を果たした国であるといってのけますが、それが半分しか正しくないのは、近代化というものには二つの流れがあって、一つは日本が果たしたルネッサンス以降の近代合理主義による物質文明的流れであったとしても、もう一つはむしろ韓国がアジアで最も早く成し遂げていた、宗教改革以降のキリスト教人道主義による宗教文明的な流れであるからです。

日本の支配下にあって起こった韓国の3・1独立運動の精神や、それをそのまま受け継いだ大韓民国の建国精神は、まさに私たち日本人が現在までも知らない、もう一つの近代化、すなわち宗教改革から始まる道義主義的なキリスト教の「信義と愛」の精神が、植民地化とその後の国家分断による思想対立という徹底的な困難と逆境の中で、アジアの片隅にかろうじて結実したものでした。

それがどんなものであったかが分かるのは、唯一、その植民地化と分断という困難がこの国を支配する前の姿、すなわち、大韓民国ではない、それ以前の初代皇帝・高宗を中心とした大韓帝国の建国を知ることです。

●日本より30年早い朝鮮の関税自主権

西洋列強を迎えて、近代化という課題に直面した時、たしかに日本の明治維新は最も早く、最も大きな英断をもって国家の改造を果たしました。しかし、そのような日本をしても、西洋列強と対等な貿易関係を持てたのは、20世紀に入ってから、1911年に至ってのことでした。アジアで最も早く、日本よりも30年近く早い1882年、19世紀のうちにアジアで初めて関税自主権を実現したのは、他でもない大韓帝国に変わる前の、高宗率いる朝鮮だけでした。

すなわち、高宗の朝鮮は、1882年4月に、米国と朝米修好通商条約を結んだ時点で、アジアで初めて関税自主権を実現していますが、日本は、1911年の日米通商航海条約をもって、やっとのことで関税自主権を回復し、平等な通商関係を手に入れるわけです。

それは、日本や中国とはまったく反対に、朝鮮最後の王・高宗が目指していた近代化だけが、西洋が結実させた近代化精神を、「武力と制度」の合理主義ではない、「信義と愛」による人道主義として受け入れることができていたからだ、ということができます。すなわち、この国だけが、このアジアにおいて、宗教精神を中心とした、もう一つの近代化の道を歩み始めていた、ということの明確な証拠であるわけです。

それが可能であったのは、一番最初に書いたように、韓国が唯一、仏教・儒教・キリスト教という高等宗教の精神をもって、その文化と国家の根底を築いてきたからです。

当時においては、西洋のキリスト教の倫理観と、朝鮮の朱子学儒教の「信義と愛」の精神が通じていたためであり、そのことのゆえに韓国は、カトリック、プロテスタントと、順に西洋の宗教精神を受け入れながら、やがては「キリスト教立国論」を唱えた、李承晩・初代大統領の「祈祷」によって、大韓民国として出発を迎えるわけです。

1948年5/31、韓国初の国会である「制憲国会」の最初の議事録には、李承晩が初代国会議長として、キリスト教的な「神の意思」による建国を語りながら、牧師であった一人の国会議員に「代表祈祷」を命じ、その長い長い祈祷の終わりに皆で「アーメン」と唱えることで、この国の最初の出発がなされた、ということが記録されています。

●再び悲劇が繰り返されかねない世界に

ただし、この出発は南だけの半分の出発に過ぎず、現在に至るまで、その民主と共産という地球星に残された最後の冷戦の対立と闘争が続いている、ということがこの国の最大の不幸でした。

それゆえ、私が注目するのは、1897年に出発した高宗率いる大韓帝国がどのような精神で、アジアの新しい未来を描いたかということです。そこには、間違いなく、もう一つのアジアの近代化精神が芽を出していたからに他なりません。

残念ながらその芽は、わずか13年足らずで、1910年、すっかり軍国主義に成り上がった日本の「力による近代化の波」によって、無残にも押しつぶされてしまいました。その以来、アジアから西洋諸国に渡されるべき橋は、韓国からの「信義と愛」ではなく、日本からの「技術力と理性」となって今日に至ります。

しかしその橋が渡された世界は、今また行く道を失いつつある日本と、さらに恐ろしい暴走を始めかねない中国と、そのアジアの「力」に呼応しながら、変容していく西洋諸国たちによって、再び悲劇が繰り返されるかもしれない局面にあります。

それゆえに、今こそ、その韓国がアジアに渡そうとした本来の文化的橋を、もう一度、私たち日本の歴史の反省と共に振り返ってみることが、まさにもう一度、私たちのアジアが世界に向けて渡すことができる希望の橋の再構築となり得るのではないか、というのが、私が学生時代以来、今まで韓国文化を研究してきた、最も大きく、また最も切なる個人的な願いです。

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武藤克精

日韓比較文化学専門家/ 文化交流コーディネーター/ 日韓未来ハートタンク代表/ サムスン人力開発院講師/ 『サランヘヨ・ハングンマル』編集長

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