韓国論考

なぜ、韓国人は「自己中心的」に行動するのか?

●「問題行動」のその理由?

韓国の方を連れての日本ツアーが人気で、また同じコースで日本に行ってくる予定ですが、韓国の方を連れて日本に行くと感じる「日韓の文化の違い」を、またけっこう長めに書いてみたいと思います。何かの参考になれば幸いです。

日韓の文化の違いの問題点は、基本的に日本人が韓国人の行動を見た時に、それが、「文化の違い」とはとうてい見えずに、単なる「問題行動」として見える、ということだと思います。これは実際、日本統治時代やそれ以降にも、韓国人と日本人が接する時に起こってきた、かなり根の深い「誤解」であるということを容易に推測することができます。

簡単な例でいえば、たとえば、どこかで1人1つずつサービス品が配られているような場面で、1人で2個、あるいは何個も持っていってしまうような韓国の方が存在すること。これは日本ではとうてい考えられない、ひどい迷惑行為になります。でも韓国でだったら、それは「困ること」ではあっても、決して「考えられないこと」ではないし、むしろ無理もないこととして「想定内のできごと」となります。

なぜか。韓国人は人間を家族単位で考える上に、知り合いも家族として考えてしまうために、本人の思いとしては決して「自己中心の思い」などではなく、「家族(と思っている知り合い)」の分まで持っていっている、という「愛の行為」の状況にある、ということによります。

たとえば、私たちが韓国のビュッフェに行くと、隣に立って料理をよそっている、見かけはか弱そうな韓国の女性が、何か一つの料理を山のように皿に載せているのを見て、「怪物か?!」と驚く、ということがよくありますが、あれは同席者の分を一緒に持っていっているわけです。「自分の分だけ持っていくなど考えられない」、「オンニ(お姉さん)の分を持っていくのにちょっとしか持っていかないなど考えられない」といいながらそうしてしまうわけですが、そういう韓国では、おのずと持ってきた料理が「食べ切れない」という事態も生じてしまいます。

当然、韓国でもビュッフェで食べ物を残せば「罰金」ですし、それはよくないことです。しかし、その罰金が日本のようには徹底されず、よほど目に余る量を残すのではないかぎり大目に見るのがふつうなのは、韓国には上記のような情の世界があるためなわけです。

実際、韓国では家族的な「与える情」が何よりも大事だと考えるので、「一つだけあげるのは情がない」などといって、何かをあげる時には必ず2個以上あげるのが「礼儀」ということにもなります。だから、食べ物を少しずつスプーンで分けてあげるような場面でも、わざと1回にすくう量を半分に減らして一人に対して2回あげる動作をする、というのが、より礼儀に適った行動となったりもします。

●「人間=誰かの家族」

でも私がこのようなことを書いても、実際に「1人1つずつ」という規則でサービス品を配っているのに、「そこにどんな論理をくっつけようと、それは実際『人の迷惑』になっているじゃないか」と考えられるだろうと思います。たしかに人数に合わせて個数が決められているような場合は、それは「迷惑」であり、当然、規則どおり1人1個ずつにしないといけません。

しかし、そうじゃなく、「なくなったら終わり」という感じに不特定多数に配るような場合なら、誰かが「家族(と思っている知り合い)」の分まで持っていったことで、早く品物がなくなってもらえなかった、という人が出ても、その人はその「誰か」のその行為を「迷惑」とは思わず、仕方ないことと考えます。なぜでしょう。

たとえば、こういうことがあります。地下鉄の中でつり革につかまっていると、目の前の席の人が立って、自分が座ろうとした瞬間、その横に座っていた韓国の、多くはアジュンマ(おばさん)が、「○○!ここが空いたよ、早く座りな!」と車内中に聞こえそうな声でいって、離れた所に立っていた同じアジュンマの知り合いをわざわざ呼んで座らせてしまう、ということです。もちろんこれは基本、年配の女性同士がやる特殊な行動ではありますが、いずれにせよ、日本人からみれば、とうてい考えられない「自己中心的」な行為です。

でもそのような行為に対して文句をいう韓国人を、私は一人も見たことがありません。それは「長幼の序」と共に、そのアジュンマが「オンニ(お姉さん)」として「妹(と見ている知り合い)」のためを思っている「家族の情」が優先されるべきだ、という思いのゆえに、少なくとも「迷惑」だとまでは考えないからです。「座る優先順位」という社会の規則よりも、「家族の情」のほうが上にあるべきだという韓国の文化ゆえに、その「大声」はむしろ温かい「情」の表現として、韓国社会の許容範囲にすっぽり納まっています。

しかし、はっきりいって私たち日本人からみれば、それは、目の前の「私」という人間に対する配慮と「優しさ」をまったく欠いた、社会的に「恥ずべき行為」だということになるしかありません。当然、「あなたにとっては、その『妹』だけが尊重すべき家族で、『私』は無視していい、何の価値もない存在だというのか」という話になろうからです。

たしかに、私が前回、韓国の人は「人間=家族」と考える文化の中にいる、と書いたのは、決して韓国人が「すべての人間=自分の家族」だと考えている、という意味ではなくて、「すべての人間=誰かの家族」と考えているという意味です。より普遍的に人間は皆、「誰かの家族」であり、その中に「自分の家族」と考える人たちも内包されているわけです。

もちろん、「すべての人間=自分の家族」と感じられる人がいるなら、それは本当にすばらしいでしょうが、でもそんな博愛主義の理想は、実際の人間の「情」の世界として、むしろ偽物になってしまうだろうと思います。すなわち、韓国文化が、自分が「家族」と考える人たちを中心とした「ウリイズム」の世界である、ということは、その「情」が本物であるためにどうしても必要なことである、ということになるわけです。

いっぽう、私たち日本人のほうは、むしろ社会のタテマエ的「理想」として、その「博愛主義」のほうを目指していて、「家族の情」までは行かなくていいから、「他人」を「他人」として、その権利を守れるように配慮する「優しさ」のほうを願っています。それが前回書いた「ウリ」と「みんな」の違いだということになるわけですが、それは日韓両文化のどちらがいい、悪い、ではなくて、そもそもそれこそが日韓の文化の違いだということなのです。

●韓国人は「優し」くない

だから韓国社会には決して、私たち日本人が願っているような「優しさ」はないです。でも韓国人が、それでもかまわないと考えているのは、人間はすべて「誰かの家族」であり、その「誰かの家族」であることによって、すべての人が幸せになることもできるし、この世界は美しい世界になり得る、と考えているからです。

わりと最近の話ですが、私が混雑した地下鉄でつり革につかまって立っていると、私の前の席の隣に、センスのいい山高帽を被った銀髪の年配男性が座っていました。「紳士」と呼ぶにふさわしいような風采のそのハラボジが、私の前の席に座っていた若い女性が立った瞬間に、さっと自分の帽子を私の目の前のその空席に置いて、「ヨボ!(夫婦が情深く相手を呼ぶ言葉)」といったのです。

すると、私の後ろ、向かいの列のほうに座っていたハルモニが、席を立ってやってこられ、優しい微笑をたたえながらゆっくり私の前の席に座られるとともに、ハラボジは置いていたその山高帽を、もとどおり自分の頭に載せられました。結局、夫婦で並んで座るために、離れた所に座っていた奥さんを呼んだわけです。当然、ハルモニが座っていた席にはハルモニの前に立っていた人が座り、私はどこにも座ることはできません。

でも、私はその目の前で起こった出来事のゆえに、それから一日中、ずっと幸せな気持ちで過ごすことができました。目の前ですまし顔で何事もなかったように座っているハラボジに向かって、心の中で「さすがハラボジ!」と叫んでいましたし、私の顔は終始ニコニコ顔だっただろうと思います。その時、なぜ、私はそれを「迷惑」と感じるどころか「幸せ」と感じたのでしょうか。たぶん、もしも私がその時、このハラボジ、ハルモニの家族のような立場であったなら、私の前の席が空いた時に、迷わず後ろを振り返って、「ハルモニ、こちらの席が空きましたよ!」と誘っただろうからです。すなわち、他人であってもやっぱり私にも「家族の情」を感させてくれたからなのです。韓国人ならば皆、私のように感じただろうと思います。

たしかにその時、そのハラボジは、目の前の私に対しては、「社会的な優しさ」を欠いていたことになります。しかし、人間は「誰かの家族」であるということが最優先される状況は、実はその「社会的優しさ」よりももっと嬉しい感覚の中にある、と私は感じます。なぜなら、そのことゆえにやっぱり「ああ、『人間=家族』だなあ」と感じられるからです。何よりも、どんどん韓国も西洋化され、日本化され、「韓国らしさ」というものを失ってきている昨今、まだまだ韓国の年配者の中にはこのような情緒が残っていてくれた、と私はその時、この上ない感謝すら感じていたのでした。

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武藤克精

日韓比較文化学専門家/ 文化交流コーディネーター/ 日韓未来ハートタンク代表/ サムスン人力開発院講師/ 『サランヘヨ・ハングンマル』編集長

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