韓国論考

なぜ、韓国人は「人間=家族」と感じるのか?

ゆめタワー

最後の夜を過ごした下関の「海峡ゆめタワー」。遠く釜山の方角を眺めたりしました。

前回は、韓国の方々を案内しての日本観光で感じたことを書く中で、久しぶりに日韓の文化の違いについて触れました。今日は、なぜ日本と韓国にそのような文化の違いが生じるのかという、文化の違いの最も核となる話を簡単にご紹介してみたいと思います。その考察として、一つには両国の宗教観の違いがあるのですが、今日はより一般的な、両国の風土の違いを通して、分かりやすく単純化して解説してみます。面白い話として参考にしてください。

●「ウリ」の同心円の中心に生きる韓国人

韓国に住んでみれば誰でも感じることですが、韓国は大陸につながっています。今でこそ38度線というものが北方を阻んではいますが、それでも歩いて行けさえすれば広い大陸が広がっているということを、日々ふつうに感じながら生活しているのが半島における感覚であるわけです。さらに韓国という国の形成も、古朝鮮の時代から高句麗や渤海のように大陸国家だった時代があるため、あの向こうには先祖の故郷があって、自分たちはそこからやってきて、今この半島に暮らしている、という感覚になります。

そのため、半島人の生活はルーツ意識が中心となり、アイデンティティとして自己を認識する時には、「自分はどこどこの血統の、何代目の、何番目の息子である」というように、血統を中心に、その根源の価値と自分が直接的につながっていると感じるわけです。

それゆえに、韓国人は自分を中心として同心円的に広がる「ウリ(私たち)」という感覚で世界を認識します。最も基本となる「ウリ」は血縁共同体の核である家族であるため、「家族」が世界認識のモデルになり、そのモデルを拡大して、「ウリ家庭→ウリ氏族→ウリ民族→ウリ国家→ウリ世界」と認識を広げていきます。それゆえ韓国人は、人をみれば、何らかの共通点を見つけて「ウリ」として家族の情を施そうとするし、自らが「ナム(他人)」と思われることを一番嫌い、殺し文句は「(寂しいことをいうな)私たちが他人なのか?(우리가 남인가?)」という言葉になります。10年と少し前には政権与党の名が「ウリ党」でしたが、「ウリ銀行」も「ウリ観光」も「ウリスーパー」も繁盛しているように、韓国は「ウリ」が大好きな家庭原理ネットワーク社会です。

●公私を区別し「みんな」を重んじる日本人

それに対して、日本人はどうか。私も日本に行くたびに感じることですが、島国である日本は、大陸との関係が海によって断絶されているため、容易に外に脱出できるという感覚はなく、閉じた自国の世界の中で、何より目の前の社会集団との関係を円満に保とうとします。私も在日の知り合いが多くいますが、若くして日本に移住してきたという方がよく、「自分は日本に住み始めて以来、日本人以上に日本人らしくなろうと努力した」といっています。そのように本来の民族性というよりも、島国という一つの地政学的終着点に生きる島国人は、何よりも不調和者のそしりを免れて「和」の中に入ることを第一に考えるようになるわけです。

そのため、島国人の生活意識は社会集団に対する忠誠心を強く持ち、アイデンティティは「自分はこの社会で何という役割を果たす、何業従事者である」というように、自らの役割による公的価値を中心にします。

日本人は何よりも「みんな」という言葉でその公共意識を表現しながら、「公私」の2分によって世界を認識します。すなわち公的な「みんな」の和を尊重して、私的な自らはそこに参与し、役割を果たす、より受身の位置となります。それゆえ、日本人は、「みんな」に属する知らない他人を「他人様」、「世間様」と呼んで尊重し、知らない人に非常に親切です。韓国の「ウリ党」のように、日本には「みんなの党」があったし、「みんなのうた」もあり、「みんな」をとても大切にします。

●自らの文化的行き詰まりを解消する鑑に

より分かりやすい違いは敬語です。社会の和を大切にする日本の敬語は、近い身内を下げ、遠い他人を上げる「相対敬語」となりますが、韓国の敬語は、自分につながる同心円的な根源の価値が変わらないため、常に自分の尊敬すべき相手が変わらない「絶対敬語」となります。外の人と話す時、日本人は「父は今いません」といいますが、韓国人は「ウリ(私たちの)お父様は今いらっしゃいません」といい、日本人は「社長の田中は今いません」といいますが、韓国人は「ウリ(私たちの)社長様は今いらっしゃいません」というわけです。

以上のゆえに、外国人の目には、一見して、日本社会は公的和を優先するとても理想的な秩序社会として映り、韓国社会はわがままな集団利己主義の「ウリイズム」のようにも映ります。しかし、自らの根源の価値を中心とした同心円で世界を見る韓国人は、実は裏表がなく、「人間=家族」の感覚を中心に、「情→知→意」によってとても純粋に人との関係や世界との関係を求めようとしています。いっぽう日本人は、「みんな」の中における役割が「ソトの顔」として優位にあり、私的なホンネは劣位にあるため、人を見るとまずは気をつけなければならず、昔から「対人恐怖症」や「ひきこもり」という日本産の「地域文化病」が生まれるマイナス面もあります。

両国の古来の固有語を比べてみても、日本には、「おおやけ」という言葉があり、規則を表す、「きまり」、「さだめ」、「おきて」、「とりきめ」、「のり」、「ことわり」、「しきたり」、「ならわし」などという多様な固有語があふれていますが、それらは韓国では皆、漢字語にしかなりません。逆に、韓国で家族間の情を表す最も基本的な固有語である「サラン(愛)」という言葉は日本には存在しておらず、近代に入ってキリスト教の概念が輸入される時に、漢字語の「愛」が取り入れられています。韓国では、子供が物心付けば親子の間で毎日のように使う「サランヘ(愛している)」も、日本では日常生活では使わない言葉です。

私は個人的に両方の感覚によく馴染んでいるし、韓国でも25年間住みながら、韓国人の情関係がとても心地よいです。韓国に住み始めて以来、いつも心情的に自由に、自分のホンネのままですべての人と関われるからです。それゆえ、両国が互いに自らの観念で「優劣」を判断するのではなく、違いを違いとして理解し、相手を自らの文化的行き詰まりを解消する鑑とするならば、両国の文化的発展の可能性ははるかに大きくなるのに、と感じます。ということで、一つの考察としてご紹介してみました。

文化の違いはいかに生まれるか?
韓国人の価値認識
日本人の認識方法

海峡ゆめタワーの展望台から望む関門橋。海峡ゆめタワーの展望台から望む関門橋。
こちらは西側こちらは西側で釜山のほうかなあと思いながら眺めました。島国を実感するためですね。

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武藤克精

日韓比較文化学専門家/ 文化交流コーディネーター/ 日韓未来ハートタンク代表/ サムスン人力開発院講師/ 『サランヘヨ・ハングンマル』編集長

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