(1/6)なぜ韓国はアジア初の関税自主権を実現できたのか?
私は初めて韓国を訪れた大学時代から日韓の文化比較を専攻とし、現在に至るまで韓国と日本の各地で日韓の比較文化論を講義してきている。そのような中で、いつも最も胸が痛いのが、韓国の文化の歴史的な真の価値を、実は韓国人自身がほとんど自覚しておらず、それゆえにあらゆる国際関係において、あたかも自国は決して主体的位置には立ち得ないと信じているようだ、という問題である。
韓国は本来、どんな国よりも主体的な国際的位置に立ち得る高い文化的コードを持っているにもかかわらず、甘んじて単なる力と経済の国際関係に引っ張られていこうとしている。日本人である私としては、そのような韓国の方々の性向に、かつての日本による植民地支配時代に、韓国の文化を徹底して過小評価して抹殺しようとした、いわゆる「日帝」の責任を感じざるを得ない。それで私が主に韓国の指導者、知識人たちの日本セミナーツアーで紹介するのは以下のことである。
国史編纂委員会委員長を歴任した、韓国が誇る歴史学者、李泰鎭(イテジン)・ソウル大名誉教授の最新の研究によれば、韓国は西洋世界に対して、アジアで最初に「関税自主権」を実現した驚くべき国である。その事実は2005年、韓国・日本の両国で出版された同教授の著書『東大生に語った韓国史(동경대생들에게 들려준 한국사)』(明石書店)に詳しいが、なぜそのようなことが可能であったのかを、今一度考えてみるべきである。
すなわち、高宗による朝鮮末期の1882年4月6日に米国と結んだ「朝米修好通商条約」がそれであり、驚くことに、これは朝鮮が初めて欧米諸国と結んだ条約でありながら、それ以前の1876年2月27日に日本が強制的に結ばせた「日朝修好条規」(江華島条約)とは大きく違って、米国は韓国の関税自主権を認めて一般物品10%、贅沢品30%の関税率を認定している。
さらには、治外法権に関しても制限規定があり、米国は追って朝鮮が法律を改正し、欧米と似た水準になるならば、その時に治外法権を撤回するという暫定案を提示している。また、領事裁判権に関しても、朝鮮人と米国人の紛争が起こった時には、被告国の官吏が裁判を主宰し、原告国の官吏が参観して反対尋問と抗弁を行う権利を持つとしており、最後には、アヘン貿易の禁止条項も盛り込まれていた。なぜ米国は当時、今よりもはるかにアジアの弱小国であった韓国との間に、そのようなほぼ対等ともいえるような関係を結んだのか。
いっぽう、日本が欧米諸国と結んだ条約たちは、最初から上のようなことがいっさい認められない不平等条約であり、その間、ありとあらゆる手を尽くしてその解消に取り組むが、日本が実際にそれを成し遂げ、米国との間に関税自主権を回復するのは、なんと、韓国よりも29年も遅い、1911年の「日米通商航海条約」の時である。
なぜアジアで一番最初に近代化を成し遂げたと自負する日本が、当時の朝鮮よりも30年近くも遅れを取ったのか。
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武藤克精
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