韓国論考

なぜ、韓国人は内面を隠さずぶつけてくるのか?

講義風景0615

●日本の友人に韓国人が皆感じる疑問

昨日ご紹介した感想文の中に、感想以外に、実はとても面白い日本人主婦の方のご質問があったのでご紹介します。

「日本人の友達を持つ韓国人に会うことが多いのですが、皆さん、『日本人は仲良くなったと思ったら遠くに逃げていくけれど、なぜ?』と質問してきます。自分も日本人として、逃げるというか、距離を置くことになると思うのですが、自分の中でもよく分からず、説明がうまくできません。日本人はなぜ距離を置こうとするのか、日本人が他者を友達として受け入れる時の距離感のようなものを詳しく知りたいです」

これはいちおう講義の中でも説明していたのですが、改めて詳しく書いてみたいと思います。たしかにこの内容は、日本人と付き合う韓国の方の多くが、日本人の友人に対して持つ疑問ですよね。日本人と韓国人の「友達の距離」の違い、あるいは日本人の「仲良し」と韓国人の「仲良し」との違いだということになりますが。

まずは難しい文化論ですが、以前にも書いたように、私たち日本人は社会原理を基本としながら、「人間=他人(様)」の概念で、子供の頃から、親子や家族関係の中でも、むしろ「社会関係における他人との距離の取り方」を学びながら育つ場合が多いわけですよね。それが、家族同士でもお箸や茶碗を個人で区別したり、「親しき仲にも礼儀あり」とか、「兄弟は他人の始まり」などといったりする世界ですが、韓国の文化では、そんなことわざなどあり得ないし、まさに韓国人が嫌いそうな世界になってしまいます。

韓国の人々は、家庭原理の「人間=家族」が人間関係の基本であるだけでなく、小さい頃から家族は自分と「一つ」だといえる存在、少なくとも自分と同じ位置に立っている存在であるわけです。それゆえ、韓国人にとっては、「家族=永遠に絶対的で不変の私の味方」であり、当然、それが人間関係の核になるので、友達についてもそれを理想とする、ということになります。だから昔から「本当のチング」というと、紙一枚挟まないような「一つ」になった関係を意味してしているわけです。(まあ、今は昔ほどではないともいわれていますが)

●喧嘩の言葉だと思ったのはラブコール!

それゆえに、多くの韓国人は親しくなってきたら、「本当のチング」であるところの「家族」になろうと「アタック」してくるわけですが、その時に私たちは、あまりにも近すぎるという負担を感じて逃げてしまいます。そこまでの近さを処理する人間関係のコードを持たないために、かえって気を使うようになって、韓国人のほうは完全に自由になっているのに、こっちは逆にすっかり不自由になって、その温度差ゆえに遠ざかるしかなくなることが多いわけです。もちろん、中には本当にウマが合って、ちゃんと家族のようになれる人もいるし、韓国人側も日本人側も人にはよりますが。

「アタック」と書きましたが、韓国人は「この人は『本当のチング』になれる」と思ったら、ふつうは隠していた自分の内心の話をしてきます。日本的にいえば「ホンネ」をいうわけですが、たいていは、「私が誰にもいったことがない悩みはこれだ」とか、あるいは「実はあなたのこういう所が問題だと思う」だったり、「初めて会った時から私はこう思っていた」だったりします。さらに、ここにおいて一つ、私たち日本人が韓国人と本当の「チング」になる時の特有の難しさがあるのですが、それは、私たちがこと日本人であるために、その時に打ち明ける、隠していた内心というのが、「過去の日本は私たちにこんなにひどいことをした」とかいう歴史の話にもなり得るということです。

しかし、韓国人にとっては、そのような関係性において相手に感情をぶつけることは、100%ラブコールであり、互いに心のウチをいい合って一つになれると信じているからであるわけです。すなわち韓国人は「一つになるためにぶつけてくる」のです。ところが私たち日本人の場合、「ホンネをいわない」という社会的距離関係が人間関係の基本であるため、ホンネがただの「悪口」に聞こえてしまって、喧嘩をふっかけられたと勘違いしては人間関係がそれで終わってしまう、ということが往々にしてあり得るわけです。

ましてやその内面の「告白」が、こと歴史問題における民族の傷の話であったりする場合には、私たちは「やっぱり歴史問題ゆえに私たちは分かり合えないんだ」とショックを受けては、そこから一気に「友人関係」ではなく「外人関係」=外交関係の距離まで離れてしまったりするわけですが、そのかたわらで当の韓国人のほうは、「すべて話した。これで今日から私たちは本当の友達だ!」と感動に満たされていたりするわけです。

実際、韓国人同士ならば、相手が内心を明かしてくれたということで自分もいいたいことをいって、それで一時的に激しい口論になったりしても、それが終わると突然、肩を組んで仲良しになって笑っている、みたいな状況になります。韓国人としては「一つになるために問いただした」だけだったからです。ところが私たち日本人は、冒頭の質問にあるように、何もいわずに遠くに逃げてしまったり、あるいは、「あなたがホンネをいったので、私もホンネをいうが、私は迷惑だ、もう連絡しないでくれ」みたいに突然壁を作ったりする、というわけですよね。当然、韓国人のほうもビックリです。

●チングとは「永遠に絶対不変の私の味方」

でも結論的に、私からいわせてもらえば、そのような壁を壊した韓国人のホンネの友達関係というものは本当にいいものです。「いつでも頼りたい時はいってくれ。どんなに忙しくても、お前にだけは絶対に忙しくないから」とか、本気でいわれてみてください。そういう時にはこれ以上ない優しさを感じて胸が熱くなります。

何より韓国人の「本当のチング」関係は、日本人のように気を遣って「お返し」などを考える必要がまったくなく、もしそれを考えたら他人になってしまう、というわけですよね。本当の家族のように、冗談で悪口をいい合いながら、いつまでもずうずうしく、「これしてあげる」、「あれしてあげる」といってくる情を受け続けることになるのがその関係です。もちろん頼られることもありますが、ホンネが大事なので無理ならば無理だといって、別にこちらは何もしなくてもぜんぜんかまいません。

もちろん、そこに合うこちらのコードも必要で、その関係を本当に「迷惑」があり得ないような「家族」として受け入れられるかということになります。でももしそうなりさえすれば、「永遠に絶対的で不変の私の味方」だ、といってくれる人が「うちのお母さん」以外にもう一人できるわけです。あるいは自分のお母さんは意外とそういう人ではない、という場合には、それが人生で初めての経験だということにもなり得ます。だから、そういう経験を人生の中でしてみたいという人には、本気で韓国の友人をつくるということは、最高の経験なのではないかと思います。まあ、個人の“ウマ”が合えばですけどね。

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武藤克精

日韓比較文化学専門家/ 文化交流コーディネーター/ 日韓未来ハートタンク代表/ サムスン人力開発院講師/ 『サランヘヨ・ハングンマル』編集長

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