韓国論考

アジアの真の近代化を夢見ながら

高宗皇帝

●高宗の「信義」による外交成果

前回、韓国がアジアで初めて、日本よりも30年近くも早く関税自主権を実現できた、高宗を中心とした近代化精神とその外交成果について詳しく書くといいました。

かつて、欧米の「文明国」が、その他の「非文明国」を、合法的に搾取することができた時代。大国・中国も、日本も、当然のように、長い間、「関税自主権」なし、「治外法権」ありの不平等条約を押し付けられていた、その時代。治外法権は別としても、韓国が、関税という問題に関していち早く欧米と対等関係を結べた理由は、まさにその近代化精神にありました。

すなわち、高宗(※写真)・韓国の近代化精神が、国際法が目指した本来の精神により近かった、ということになります。それは、西洋のキリスト教と、朝鮮の朱子学儒教の「信義と愛」の精神が通じていたということです。

当時の高宗・韓国は、国際法の精神を、「信義と愛」の精神と捉えました。当時、韓国は、1885年から1899年までの7回にわたって、各国と結んだ条約を項目別に整理し、品目、税率を一覧表にした『各国約章合編』という本を発行しています。条約を守るためのそのような努力は、当時の日本にも中国にも見られないことですが、その序文には以下のように明記されていました。

「信義を根本とせよ。礼儀で相手を待遇し、愛情で約書を制定せよ。そのために、これを役人だけが持っているのではなく、国民すべてが知るようにして、全国民が各国に対する信頼を持つようにすれば、両国間に友情関係が自然に生じるようになるのだ」

●「万国公法は弱国を奪う一道具」?

この文章を読んで、私がすぐに思い出したのは、日韓友好外交の先駆者である雨森芳洲の「外交の基本は真心の交わりである」という「誠信外交論」でした。両者に共通するのは儒教であり、朱子学的な徳性の普遍主義です。

ちなみに、日本朱子学は、“朝鮮の朱子”と謳われた李退渓(千ウォン札になっている人)の学問を受け継ぐ朝鮮の文官・姜沆(カン・ハン)が、秀吉の朝鮮出兵で捕虜として日本に連れられてきて、当時、京都相国寺の禅僧であった藤原惺窩にその学問を教えたところから始まっています。雨森芳洲は、実に藤原惺窩のひ孫弟子に当たる人物です。

そのようにして、朱子学が江戸の武士の学問となることで、それまでの戦国の覇道政治は終わりを告げ、徳による徳川幕府300年の平和がつくり出されたといえるのであって、近代化においても、「国際法(international law)」は「万国公法」と訳されましたが、「自然法(natural law)」は、朱子学の「性即理」の観念をもとに「性法」と訳されていました。もし、この時の日本が、当時の韓国と同じように、朱子学的普遍主義を軸に、「国際法の精神」を受容していたなら、その後のアジアに対する侵略自体が、まさにその“世界のもう一つの近代化精神”ゆえに踏みとどまれたのではないかと思います。

ところが実際には日本は、旧来の武士の覇道をもって西洋列強の思想世界を理解し、当時の国際秩序を「力」の世界であると捉えました。

木戸孝允は日記に「兵力が整わなければ万国公法も元より信じるべきではない。弱国に向かっては、おおいに万国公法を名として利を謀る国も少なくない。故に私は、万国公法は弱国を奪う一道具である、と言っているのだ」と記しています。

福沢諭吉も「百巻の万国公法は数門の大砲にしかず、幾冊の和親条約は一筺の弾薬にしかず。大砲弾薬は以て有る道理を主張するの備えにあらずして、無き道理をつくるの器械なり」(『通俗国権論』)といってのけています。

当時の日本の戯歌にまで、「表に結ぶ条約も、心の底ははかしれず、万国公法ありとても、いざ事あらば腕力の強弱肉を争うは、覚悟の前の事なるぞ」と詠われていたとおりです。

●世界の普遍主義を見損なった日本

たしかに、実定法主義に基づいて解釈すれば、法は力以外の何ものでもないでしょう。国家主権による実行のみを有効として、「どんな条約でも条約である限りは、絶対的な力を持つ」といいながら、韓国との過去の問題を正当化してきた日本の立場は今に至るまでそれです。

しかし一方で、法は人間本性の規範に基づくもの、として捉える自然法主義の思想があるのであり、こと国際法においては、その本質はキリスト教を背景とする自然法主義だったということを、私たちは知る必要があります。なぜなら、国際社会にはその法を守らせるその上の絶対的権力などというものは存在せず、ただキリスト教的、神の下の人間生来の規範以外にはないからです。

1648年、ヨーロッパにおいて、カトリックとプロテスタントの、30年にわたる宗教戦争を終わらせたヴェストファーレン条約が、「近代国際法の元祖」とされています。すなわち、神の下の平等を唱える宗教改革の精神によって、「神聖ローマ帝国」の教皇・皇帝といった超国家的権力は否定され、各国が対等な主権を有するという「国際秩序」が初めて可能になったのであり、この時、カトリックに勝利したプロテスタントの精神こそ、自然法思想による国際法の出発となっているわけです。

人為的な上位権力ではない、諸国家の上にあって、諸国家を等しく規律する「天の規範」の存在を認め、それをもって、国際社会を普遍的な人類社会とみなし、国際法を普遍人類法とみた立場から、国際法理念は出発しました。そして、まさにその時から、この精神を信じる連合国が、それを否定する枢軸国と戦って勝利を収め、その後、世界的な植民地解放を主導するに至った、そのような歴史こそ、地球上にこの国際法の精神が実現されていく人類の長い道のりだった、と理解できます。

当時の明治維新の主導者たちに、「万国公法は弱国を奪う一道具」のように見えたのは、「力」と「天の規範」、そのどちらが国際秩序の中心として勝利するかという、いまだ過程にあったためであり、そして、残念ながら当時の日本はその敗者の陣のほうについてしまったということになります。

それゆえ、もしも、高宗・韓国の「信義と愛」の精神からアジアの近代化が始まっていくような道があったならば、その後のアジアの歴史、東洋と西洋をつなぐ関係の橋は、今とはまったく違ったものになっていたということになります。それは私の単なる空想ではなく、実際にプロテスタント・キリスト教国家の連合軍が勝って、そのような世界を築いたことからすでに証明されているわけです。

近代化の過程において、朱子学道徳主義から次第にキリスト教人道主義の世界を受け入れていった韓国が、もしもその精神をもって主導していれば、アジアは西欧に対する反逆の道を行かずにすんだということになります。そうなれば、アジアに渡された橋は、現在のような、日本からの「技術力と制度」のそれではなく、韓国からの「信義と愛」の橋となっていたということになったことでしょう。

「信義を根本とせよ。礼儀で相手を待遇し、愛情で約書を制定せよ」
「そうすれば両国間に友情関係が自然に生じるようになるのだ」

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武藤克精

日韓比較文化学専門家/ 文化交流コーディネーター/ 日韓未来ハートタンク代表/ サムスン人力開発院講師/ 『サランヘヨ・ハングンマル』編集長

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