↑新大久保駅の李秀賢さんと関根史郎さんの義挙を称える碑の前で、日韓の友好を祈願。
●「本当に伝えるべきことを伝えたい」
今回の日本行きで招待を受けたのは、韓国語を日本で教える韓国語教育の団体。前回の日本行きでは札幌の事務所を訪ね、今回は、東京の事務所で講義をさせていただきました。
今回、日本全国から集まった韓国語教師の方々は、たいていが2002年のW杯の頃から、周囲の要望によって韓国語を教え始めたということでした。もう皆すでにベテランで、日本人のように手まめに教材などを手作りし、さまざまな試行錯誤で教えている模範講義の発表にもとても感動しました。
その上で、たとえば、ある先生は、教えていたある日本人生徒がこのように話すのに、大きなやりがいを感じたということでした。
すなわち、家庭主婦であるその日本生徒は、最初に韓国ドラマを見た時に、「韓国人が家族に対する情がとても熱く、子供が父母のことを思って涙を流すような世界に、自分にはとうていそんな世界はないし、そのような表現自体に大きな違和感を感じた」そうです。
ところが、「先生の韓国語をいつも聞きながら続けて学び、少しずつその同じ韓国語で思考することができるようになると、今度は、むしろ韓国的な思考が自然であると思うようになり、実際に自らの家族に対する思いが、韓国のドラマで見るような思いに変わってしまっていたし、家族に対して取る態度もすっかり変わっていたことに気づいた」ということなのです。
これは韓国語を教えることで、韓国人の心情世界を伝えることができる、ということが分かった、韓国語教師としてとても大きな喜悦を感じる瞬間だったということです。
結局、私は、そのような韓国語の心情世界をより効果的に教えるにはどうしたらいいかという問いに答えるために行ったわけです。もちろん、日本人が韓国の文化世界を語るということ、それだけでも貴重視してくれていることもありますが、最後は起立拍手の好評をいただきました。
彼女らの「ただ韓国語を教えるだけでなく、そこからさらに一歩進んだ、本当に伝えるべきことを伝えたい」という熱意に感動すると共に、その努力が実って、これから日本の各地で日韓友好の親善大使の役割を果たしてくださることを祈るばかりです。
●今も賑わう新大久保「イケメン通り」
さて、そのような日韓の友好を祈る場所として最もふさわしいのが、新大久保駅の、韓国人留学生の李秀賢さん(26)と関根史郎さん(47)の、2001年1/26における貴い犠牲を称える碑です。
その近くには、新大久保コリアンタウンがあり、前回、札幌に帰った時には、テレビで「新大久保がすっかり閑散としている」という報道情報を見ていたので、正直、ドキドキしながら向かいました。しかし、確かにピーク時の賑わいはないのでしょうが、でもそれなりに混雑していて、思っていたほど寂しくはなかったのでほっとしました。
「イケメン通り」を通っていきましたが、かつてここで人気を誇っていた留学生たちが、震災後に皆、帰国してしまうことで、「イケメン通りにイケメン不在」状態となっているということでしたが、でもまだサムギョプサル屋さんの呼び込みなどにけっこうなイケメンさんを見つけましたよ!新大久保ファイティン!
ということで、コリアンタウンを訪問して、イケメン通りに来ました。入り口にある有名な鍾路ホットク。ピーク時は100m以上も列ができていたそうです。
名物・ハングルで書かれたドンキホーテ。仁寺洞のハングルスタバ看板を彷彿とさせます。
けっこう混雑して見えましたよ。
何でもありますよね。でもいっぽうで韓国では見かけないカワイイ占い屋が多いのにビックリ。韓国では仏教の哲学院として四柱推命などをよく見ますが、かなり雰囲気が違います。
懐かしい韓国の煙草(담배)の看板がレトロですね。
これは魅力!プンシク屋台は、日本で見かけてもやっぱり入りたくなっちゃいますね!
イケメン通りを抜けました。左右はカタカナ韓国語だらけの韓国料理街。
新大久保駅のほうに向かいます。
2001年、韓国人留学生李秀賢さん(26)と関根史郎さん(47)が亡くなった新大久保駅。
お二人のことを記した碑が構内の壁にかかっています。
武藤克精
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