●「三つ子の魂」の願い
島根県奥出雲町の公式ブログが4/1にオープンして、懐かしく思い出すが、ちょうど2年前、日韓文化交流の講義のために、春の初めの美しい奥出雲を訪れた。韓国との間での観光開発のために招請を受けたもので、地元のお偉いさん方が60人ほど集まる中、1時間半、韓国文化に関する講義をし、それとともに観光資源を視察してきた。
実は2005年の夏にも、鳥取県のほうから呼ばれて講義したことがあり、その時に出雲大社をはじめ島根-鳥取の名所は観光していたが、奥出雲を訪れたのは初めてだった。
考えてみれば、私にとってはこの地の訪問は、いわば「三つ子の魂」の念願だったともいえる。講義の最初にも紹介した話だが、私は誕生から4歳になるまで祖父母同居のもとに育った。当時の楽しみは、早朝、誰よりも早く起きて、2階の自分の布団を抜け出し、1階の部屋の祖父の布団にもぐり込んで、そこで昔話を聞くこと。
祖父は神道系の信仰が深く、古事記や日本書紀に出てくる日本の神話を、幼い初孫になかなかの演出で語ってくれた。中でもお気に入りが、ヤマタノオロチ退治の話で、今でも、目を閉じれば、八つの頭を持つオロチが緑深い山を降りてくる姿や、山を駆け回るスサノオの猛る雄姿が、脳裏に焼きついている。
その神話のふるさとこそ、ここ、懐かしき奥出雲の地である。
実際に目にした、奥深い山々の緑や低く垂れ下がる雲の光影は、かつて幼い私の頭が描き出した神秘的な風景そのままだった。実際、出雲は、全体が日本の神話のふるさとであり、『古事記』の神話の3分の1は、「出雲神話」が占めているという。 よく語られるとおり、大和言葉で、10月を「神無月」といい、出雲では「神在月」というが、それは10月に神々が出雲に行ってしまって、他の地域にいなくなるという意味だ。
山陰は雲が多いが、空気がきれいで、その厚い「八雲」の間から湖面に注ぐ光を見れば、天から神々が降りてきた地だということが自然に受け入れられる。
●聖なる母の「イツモ」
荒ぶる神スサノオは、父イザナギから、海原を治めるよう命じられた時、 母イザナミのいる「根の国」に行きたいといって大泣きに泣いたというが、その「根の国」が、この奥出雲である。「出雲」という地名も、日本の母神であるイザナミを、「聖なる母」の意味で、「稜威母(イツモ)」と貴んだことからきたという説がある。
島根県安来(やすぎ)市にある比婆山(ひばやま)の山頂、熊野神社には 、イザナミの神陵古墳と伝えられるものが存在しており、そのため、江戸時代にこの地は「母里(もり=母の里)」藩とされた。また、古代遺跡の類似性や方言などの文化的共通点から、この「出雲国」と、東に隣接する「伯耆(ほうき)国」が一つの文化圏であったと考えられ、「雲伯地方」などとも呼ばれるが、この「伯耆」の名も、古くは「伯伎(ははき=母の港)」だった、とされている。
くどくどと書いたが、私がその時、奥出雲の地を初めて訪れた感慨をもとに一言いいたいことは、ここは日本人皆の隠された「母なる地」だ、ということだ。
韓国との関係でもいえるが、最低限、この地が、半島から先祖の渡来人が訪れ、最初に国をつくった現日本人の「根のふるさと」であったことも間違いがないだろう。
私も、海外に住む年月が長くなるにつれて、故郷・日本を思う思いは日に日に純化されていく。そして私自身の心の奥に、魂の故郷を探し探し求めていけば、そこには幼い頃、祖父から学んだ日本の心が指し示す地がある。
それがこの母の地たる奥出雲。
私ばかりではない。日本で、世界で、現代を生きる、荒れすさぶ神たるスサノオの子孫たちは、皆、心の根を求めながら、この母なる地を慕って、今日も心の底で泣き叫んでいるに違いないのである。
神秘的な八雲の光。
金屋子神社にて。
スサノオ像。
宿泊した玉峰山荘。
料理に舌鼓。
武藤克精
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